万平ホテル130年の物語|1894年創業からジョン・レノン、登録有形文化財、2024年リニューアルまで

万平ホテル アルプス館(1936年竣工、登録有形文化財)

※本記事にはアフィリエイトリンクが含まれます。わたしたちが実際に宿泊したときの体験と、館内で伺ったスタッフの方の話、ホテル史料室の展示をもとに書いています。

目次

一言で言うと、「時間を残す勇気」がある宿だった

130年。

改めて数字にすると、ちょっと現実感が薄れる長さです。

江戸から明治に変わって27年。日清戦争が起きた年。まだ東京駅すらなかった時代に、ひとりの日本人が軽井沢の小さな集落で宿を始めました。その宿がいまも同じ場所で、同じ名前で、しかも普通に泊まれる宿として続いている。それが万平ホテルです。

わたしたちは4月中旬の2泊3日でリニューアル後の万平ホテルに泊まってきました。その宿泊記はすでに別の記事にまとめていますが、今回書きたいのは、その2泊3日のあいだにわたしたちが強く感じた「130年というものの重さ」の話です。

建物としての歴史、人としての歴史、そして2023年から2024年にかけての大規模リニューアルで「変えないために変えた」決断の話。

派手な見せ場の多い宿ではありません。でも、一歩踏み込むと、どのフロアの廊下にも、どのランプにも、130年分の時間が折り畳まれているのが見えてきます。その折り畳まれた時間を、ゆっくりほどいていく記事です。

こんなふたりにおすすめの記事です

  • 万平ホテルに興味があるけれど、ただのレビュー記事では物足りない
  • クラシックホテルの「歴史の厚み」そのものに惹かれる
  • ジョン・レノンと軽井沢の関係をきちんと知っておきたい
  • 泊まる前に、その場所の物語を抱えてから行きたい

わたしたちが「歴史」に惹かれた理由

夫が若い頃に泊まった記憶からはじまった

この宿のことを最初に話題にしたのは、ずいぶん前の夜でした。

結婚する前、まだ付き合いはじめたばかりのころ、夫がぽつりと「前に一度だけ、軽井沢に万平ホテルっていう古いホテルに泊まったことがある」と言ったんです。

「廊下がちょっと暗くて、木の匂いがして、ランプがぽつぽつ下がっていた」

夫はそれ以上うまく説明してくれなかったのですが、その短い描写のなかに、ちゃんと夫が感じた温度が残っていました。夫はあまり「泊まった宿の話」を自分から持ち出す人ではないので、わたしはそのとき少し驚いたのを覚えています。

それから何年も経って、2024年にリニューアルのニュースを目にしたとき、まっさきに思い出したのがその夜の会話でした。

夫の記憶のなかの「あの廊下」が、リニューアル後もちゃんと残っているのかどうか。

それがわたしたちが万平ホテルに向かった、いちばん最初の動機でした。

130年という数字の実感

チェックインのあと、玄関の木製看板の前に少し立ちました。

1894年からずっとここに掛かっているという看板です。風雨を浴び、雪をかぶり、130回の夏と130回の冬を見てきた木。

わたしは、祖父が生まれたのが昭和のはじめだったな、とぼんやり考えました。その祖父が生まれる30年以上前に、この看板はすでにここにあった。

「130年って、人間の4人分くらいなんだね」と夫に言ったら、「5人分かも」と返ってきました。

看板をじっと見ていても、その長さは結局よくわからなかったのですが、「わたしたちの人生を何度も束ねた時間」だけは、確かに手のひらに乗ってきた気がしました。

この記事は、その重さの話です。

130年のヒストリー全図

まずは全体像から見ていきましょう。

以下は、わたしたちが滞在中にホテル史料室の展示と、スタッフの方に伺った話をもとに整理した、万平ホテル130年のタイムラインです。個別のエピソードはこのあと順番に深掘りしていきます。

HISTORY / 130年

万平ホテル、130年のヒストリー

ひとつの宿が見てきた時代の厚み。泊まることは、歴史の続きに参加すること。

1894

創業

佐藤万平が軽井沢で旅館業を開始。日本人向けの宿として歩み出しました。

1902

外国人観光客の受け入れ

軽井沢を訪れる宣教師や外国人に向けて、西洋式の宿泊サービスを本格化。

1936

アルプス館 竣工

現在の本館にあたる「アルプス館」が完成。昭和初期のクラシック建築の名作として知られるように。

1955

戦後の復興期

占領終了後、国内外の要人が訪れる「軽井沢の顔」としての地位を確立。

1976–79

ジョン・レノン ファミリーの夏

夏を家族で過ごすため4年連続で滞在。カフェテラスやピアノに今もその痕跡が残ります。

2003

登録有形文化財に

アルプス館が国の登録有形文化財に指定。建物自体が観光資源となりました。

2024

大規模リニューアル完了

歴史的意匠を残しつつ、現代の快適性を融合。愛宕館を中心に新しい万平の時代が始まりました。

CHART / Saion Original

それでは、ここからひとつずつ、時代の扉を開けていきます。

1894年|佐藤万平、軽井沢で旅館業をはじめる

創業者・佐藤万平という人物

万平ホテルの「万平」は、創業者・佐藤万平の名前からそのまま来ています。

明治27年、西暦でいうと1894年。その年に、佐藤万平は軽井沢で旅館業をはじめました。はじめから「ホテル」というかたちだったわけではなく、当初は日本人向けの純粋な旅館としての出発だったと、史料室の年表には書かれていました。

わたしはその年表の前で、しばらくぼんやりしていました。

1894年というのは、日清戦争がはじまった年です。翌年に下関条約、その数年後に日露戦争の前夜が来る。日本全体がバタバタと動いていた時代に、軽井沢という当時はまだ小さな宿場町でひとりの男が「ここで宿をやる」と決めた。

「すごい決断だよね、これ」と夫がとなりでつぶやきました。

130年という歳月を逆算してみると、佐藤万平がこの宿を始めた日には、電気も、ガス管も、鉄道の主要ルートさえ、いまとはまったく違う姿でした。軽井沢に駅ができるのは1888年のことで、まだ「駅前町」としても歴史が浅かった時期。道は土のままで、冬にはもちろん雪に閉ざされる場所だったはずです。そんな土地で宿を構え、訪れる人を迎え続けることを、自分のこの先の人生を賭ける仕事として選んだ。現代でいえば、誰もまだ使っていないサービスを、ひとりで何十年もかけて育てていく覚悟にすこし似ています。

本当に、すごい決断だったと思います。

佐藤万平という名前は、いまのホテルのあちこちに小さく残されています。玄関の木製看板もそのひとつ。ロビーの一角にも、創業者に関する小さな展示コーナーがありました。わたしはその写真の前で、「この人がいなければ、わたしたちは今夜ここに泊まれていない」と、当たり前すぎる事実を改めて考えていました。

なぜ軽井沢だったのか

当時の軽井沢は、いまのように華やかなリゾート地ではありませんでした。

中山道の宿場町のひとつだった軽井沢宿は、明治のはじめに鉄道の路線が別ルートに決まったことで、宿場町としての役割を急速に失っていきます。人が減り、家が空き、かつての賑わいが静かに引いていった時期。

そんな軽井沢を「夏を過ごすのにいい場所だ」と見つけたのが、カナダ出身の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーでした。1886年、彼が軽井沢に初めて訪れて、翌年にはここに別荘を建て、友人たちに紹介していった。これが、のちの「避暑地・軽井沢」の出発点です。

佐藤万平が旅館を始めたのは、このショー師が軽井沢を世に紹介しはじめてから数年後のこと。つまり、軽井沢が宿場町から避暑地へと性格を変えはじめる、ちょうどその境目の時期でした。

「宿場町の記憶と、避暑地の芽吹き。そのふたつが重なっていた時期に始まった宿」と言うと、少しロマンチックすぎるかもしれません。でも、万平ホテルの空気に流れている「和と洋の混ざり方」のルーツは、たぶんこの時期の軽井沢そのものにあります。

1902年|外国人宣教師の受け入れ、そして避暑地・軽井沢の萌芽

日本人の宿が、外国人の宿になるまで

創業から数年で、万平ホテルは大きな転機を迎えます。

明治35年、1902年。この年から本格的に、軽井沢を訪れる外国人宣教師や西洋人客の受け入れが始まったとされています。それまでの「日本人向け旅館」から、「西洋式のもてなしを備えた宿」へと、少しずつ舵を切っていったわけです。

廊下に靴のまま上がれるようにし、ベッドを導入し、西洋料理を出す。

いま聞くとあたりまえのことに思えるかもしれませんが、明治30年代の日本ではそれなりに大きなことだったはずです。布団で寝て、畳に座り、和食を食べるのがふつうだった時代に、外国人客のために「違うルール」を館の中に走らせる。それはきっと、物理的にも精神的にも大きな負担をともなう変化でした。

史料室の写真の中に、当時の万平ホテルの食堂の白黒写真がありました。長いテーブル、白いクロス、背の高い椅子。その奥で白い前掛けをかけた日本人のスタッフが、少しかしこまった姿勢で立っていました。

「この人たち、毎日大変だっただろうな」と夫が笑いました。わたしも笑ったあとで、「でもこの人たちが受け継いできた姿勢が、いまのスタッフさんの穏やかさにまで続いているんだね」と言いました。

軽井沢が「避暑地」になっていく時代

ちょうどこの時期、軽井沢全体が大きく変わっていきます。

宣教師たちが別荘を建て、夏になるとヨーロッパや北米から家族を呼び寄せ、教会を建て、テニスコートが整備され、聖パウロカトリック教会や軽井沢ショー記念礼拝堂がつくられていった。

わたしたちは今回、旧軽井沢の散歩の途中で聖パウロカトリック教会の前にも立ちました。朝の早い時間に行ったので、挙式がはじまる前の静かな空気のなかで、少しだけ中を覗かせていただくことができました。

あの教会の木の梁を見ていて、「ああ、ここも万平ホテルと同じ時代の空気を吸っている建物なんだ」と思いました。軽井沢の古い建物は、単独で存在しているわけではなく、あの時期の「避暑地の集合体」として、いまも互いに響き合っています。

万平ホテルは、その集合体の中核のひとつ。1902年の判断が、いま目の前の軽井沢の空気をつくっている——そう考えると、100年以上前の判断が、いま自分たちの旅を支えてくれている気がして、ちょっと不思議な感覚になりました。

1936年|アルプス館竣工、クラシック建築の誕生

昭和11年の建築様式

そして、万平ホテルの「いまの顔」が生まれたのが、1936年、昭和11年のことでした。

現在わたしたちが「万平ホテル」と聞いて思い浮かべる、あのレトロな木造建築。焦げ茶色の柱と、クリーム色の漆喰壁。和と洋が自然に溶け合った、独特の外観をもつ本館「アルプス館」が、この年に竣工しています。

昭和11年というのは、二・二六事件が起きた年です。世の中が暗い方向に傾きはじめていた時期に、軽井沢の山あいで、これだけの洋風建築が建てられていたというのは、ちょっと想像がつかない光景です。

わたしたちはチェックインのあと、アルプス館の外に出てもう一度建物を眺めました。

「昭和のはじめの建物って、こういう顔なんだね」と夫。

確かに、戦後の建物とも、大正時代の洋館ともちょっと違う、独特の落ち着きがあります。華美ではないけれど、しっかりと厚みのある木の柱。軒の深さ。窓の並び方。全体のシルエットが、どこかやわらかく、包み込まれるような印象を残します。

折上げ格天井、ステンドグラス、すりガラス

アルプス館の真骨頂は、建物の中に入ってからの意匠にあります。

メインダイニングの天井は、折上げ格天井(おりあげごうてんじょう)。マス目のように組まれた木の梁のあいだに、和の文様が彫り込まれています。この天井をはじめて見上げた朝、夫の足が本当にぴたりと止まったことを、わたしはたぶん一生忘れません。

壁面には、鵜野澤秀雄さんによる大きなステンドグラス。緑と赤と黄色のガラスが、夕方の光でゆっくり床に色を落としていきます。

そして、ロビーから客室に向かう廊下の天井には、丸いペンダントライト。乳白色のすりガラスで覆われた、昭和初期のガラス照明です。

これらはすべて、1936年当時のまま残されているもの。2024年のリニューアルでも、交換されずに、丁寧に磨かれ、修復され、そのまま使い続けられています。

「この天井、90年前の人も見上げてたんだよね」と夫が言いました。

そう考えると、あの朝の光のなかで見上げた折上げ格天井は、ただの装飾ではなく、90年分の視線が重なった場所だったのだと、あとからじわじわ実感が湧いてきました。

当時の工事の話

スタッフの方に少しうかがったのですが、アルプス館は、設計図面も当時のものがかなり残っているそうです。今回のリニューアルではその図面を参照しながら、「どこを残し、どこを補うか」を文字どおり図面の上で検討していったとのこと。

1936年の職人さんが描いた線が、2024年の施工チームの手元でもう一度なぞられた。

そう思うと、この建物は単なる建築物というより、「職人たちの時間を越えた共同作業の結果」なんだと感じます。

わたしたちは、ロビーの柱の継ぎ目を見ながら、「どこを修理して、どこが元のままなんだろうね」と、しばらく二人でじっと観察していました。正直、ほとんど見分けがつきませんでした。見分けがつかないくらい丁寧に補修されているのが、逆にすごいことだと思います。

戦後|要人が訪れる「軽井沢の顔」に

1950〜60年代の万平

アルプス館が竣工してからしばらくして、日本は戦争の時代に入ります。軽井沢は戦時中、外交官や外国人の疎開先にもなり、万平ホテルも含めた旧軽井沢の建物は、独特の立場で戦争を見続けることになりました。

戦後、1950年代から60年代にかけて、万平ホテルはふたたび活気を取り戻していきます。

国内外の要人、文化人、作家、俳優、政治家。軽井沢を訪れる人びとが、自然とこの宿を選んでいった。万平ホテルは、単なる旧軽井沢の一軒ではなく、「軽井沢の顔」として位置づけられていきました。

このあたりの具体的な宿泊者の名前は、わたしたちは史料室でいくつか見かけただけなので、ここでは詳しくは書きません。ただひとつ言えるのは、ロビーの柱や、バーのカウンターや、あの猫足バスタブの並んだ客室には、戦後の日本のあらゆる層の人たちの声と体温が、本当にゆっくりと積み重ねられてきたんだろう、ということです。

夜、メインダイニングで食事をしていたとき、わたしはふと「この席に、誰が座ってきたんだろう」と考えました。70年前にここで食事をしていた人、50年前にワインを飲んでいた人、30年前に家族で来ていた人。彼らのテーブルの上に、わたしたちの皿がいま乗っている。

そういう「席の重なり」みたいな感覚は、新しいホテルでは絶対に味わえないものでした。

1976〜1979年|ジョン・レノン ファミリーの4年間

そして、たぶん多くの人が万平ホテルと聞いて最初に思い浮かべるのが、この名前だと思います。

ジョン・レノン。

ビートルズが解散したあと、息子のショーンさんが生まれ、ジョンとオノ・ヨーコさんは音楽活動の第一線から距離を置き、家族としての時間を大切にする生活に入っていきました。そのころの毎年の夏を、家族で過ごすために選んでいたのが、ほかでもない軽井沢・万平ホテルでした。

1976年から1979年まで、毎年の夏、4年連続の滞在。

宿泊はアルプス館でした。1980年の夏にも予約があったのですが、その年は音楽活動への復帰準備のために来訪はかなわず、結果としてそれが「来なかった夏」となりました。その年の12月、ジョンは帰らぬ人となります。

なぜ万平を選んだのか

ジョン・レノンが、なぜ軽井沢を、そしてなぜ万平ホテルを選んだのか。

一次ソースで明確に答えられる資料は、わたしたちが見た範囲にはありませんでした。ただ、史料室の展示や、スタッフの方の語り口、そして実際にアルプス館の空気に触れてみて、なんとなく伝わってくるものがあります。

たぶん、家族として静かに過ごせる場所を探していた。それも、西洋の基準で「きちんとしている」と感じられる宿であること。大都市から離れていること。ファンに気づかれにくいこと。そして、家族3人が毎年繰り返し戻ってこられる、ゆるやかな日常の器になってくれること。

万平ホテルは、ちょうどそのすべてを満たしていたのだと思います。

軽井沢の当時の空気は、外国人の避暑地として100年近い歴史があり、西洋的な振る舞いが浮かない場所でした。そして万平ホテルは、その軽井沢の中でも特に「きちんとした」宿として知られていた。家族で同じ宿に4年連続で戻る、という行動は、ジョンにとってあの空間が「日本の家」のようなものだったことを物語っている気がします。

毎日のルーティン

ジョン・レノン一家の軽井沢での1日が、どんな流れだったのか。

これについてはさまざまなエピソードがホテル内で語り継がれています。朝はフランスベーカリーに家族でパンを買いに行き、その足でカフェテラスに立ち寄ってロイヤルミルクティーを飲む——そんな流れが「伝わっています」と、スタッフの方がやわらかく話してくれました。

フランスベーカリーは、ホテルから歩いて数分の旧軽井沢銀座通り沿いに、いまも同じ場所で営業している老舗のパン屋さんです。わたしたちも滞在中に寄りましたが、軽井沢の老舗パン屋さんについてまとめた別記事でも書いたとおり、50年前と同じ木の扉、同じレジ、同じクロワッサン。時間がほとんど止まっていました。

ジョンはここで、朝のパンを買ったと伝わっています。そしてカフェテラスに戻って紅茶を飲み、家族と食事をする。昼間は少し散歩をして、ショーンくんと遊ぶ。夜はホテルで静かに食事をして、アルプス館の客室に戻る。

ロックスターの1日というよりも、「軽井沢に別荘を持っている家族」の1日です。

たぶん、それがジョンの望んでいた夏の時間そのものだったのだと、わたしは思います。

あの席、あのピアノ、壁の切り抜き

カフェテラスには、いまもジョン・レノンが好んで座っていたと伝わる席があります。店の奥、窓際の、少しだけ特別な空気を持つ席。わたしたちが座ったのは斜め向かいでしたが、その席に座っている方の後ろ姿を、わたしはしばらく見ていました。

この席については、カフェテラスを主軸にした別の記事で、もう少し踏み込んで書いています。この記事では、あえて「歴史の一部」として触れるに留めます。

ロビーの一角には、ジョンが滞在中に弾いたと伝わるヤマハ製のアップライトピアノが、いまも静かに置かれています。ガラスケースも柵もありません。ただ、ふつうに、そこにある。

「柵がないのがすごいね」と夫が小声で言いました。

本当にそうでした。普通なら「貴重品」として囲ってしまいそうな品を、囲わずに「いまも日常のなかにある楽器」として置いている。その距離感が、万平ホテルのジョン・レノンに対する姿勢そのものを表しているように感じました。

そしてもうひとつ、カフェテラスの入口まわりには、壁の一部がちょっと不思議な形に切り取られている場所があります。支配人が語り継いでいるエピソードによると、ジョンが壁の中から子猫の鳴き声を聞きつけて、「この子を助けたい」と壁を切ってでも救い出した、という話の痕跡だそうです。

本当かどうか、当時を知る人にしかわからない話ではあります。でも、そういう「いい話」が語り継がれているという事実そのものが、ジョン・レノンという人がこの宿でどんなふうに過ごしていたかを、とてもやわらかく伝えてきます。

壁の切り抜きの前に立ったとき、わたしは胸の奥が少しふるえました。ロックスターとしてのジョンではなくて、子猫の鳴き声に耳を澄ますひとりのやさしい人間としてのジョン。その痕跡が、こんな小さな形でいまも残されている。

歴史というのは、きっとこういう小さな物語の積み重ねなんだと、わたしはたぶん、あの壁の前でようやく理解しました。

帰ってきてからも、あの壁のことはふとした瞬間に思い出します。電車に乗っていて、何の脈絡もなく「子猫、ちゃんと生きていたのかな」と頭に浮かんで、夫に話したら「あの子は無事だったって信じたいね」と静かに返されました。そのやりとりのたびに、わたしたちのなかでジョン・レノンは少しずつ「遠いロックスター」から「軽井沢で夏を過ごしていたひとりの父親」に寄ってきます。有名人と距離が縮まっていく感覚は、ふしぎな読書のようでした。

登録有形文化財に指定されるということ

アルプス館が文化財になった日

1936年に竣工したアルプス館は、のちに国の登録有形文化財に指定されます。

指定の年については、わたしたちがホテル内で伺った案内と、事前に見ていた資料のあいだで少し情報が揺れていました。一般に出回っている資料では2003年指定とされることが多く、館内の展示でもその方向の記述を目にしましたが、別の年次を記載する資料もあり、完全に確定しきれませんでした。正確な指定年については、万平ホテル公式サイトでのご確認をおすすめします。

ここでは、「2000年代前半に、アルプス館という建物そのものが国の登録有形文化財として認められた」という事実だけを受け止めておきたいと思います。

指定されたのは「建物」です。ジョン・レノンが泊まったから、ではありません。1936年に建てられた木造建築としての意匠的価値、そしてそれがほとんど当時のまま現役で使われ続けているという事実。それが評価されたのだと、わたしは理解しています。

「使いながら守る」難しさ

文化財、という言葉にはどこか「触ってはいけないもの」のニュアンスがあります。

でも万平ホテルのアルプス館は、いまもふつうにお客さんを泊めている現役の宿です。毎日、荷物が運ばれ、ドアが開けられ、お湯が使われ、人が眠る。

「使いながら守る」というのは、実はとても難しいことだと思います。博物館のように閉じ込めてしまえば、痛みは少ない。でも、そうしてしまった瞬間、建物は「使われる器」としての命を失います。

万平ホテルは、その難しい道を選び続けてきました。

わたしたちがチェックインをして、廊下を歩いて、部屋の鍵を回して、ベッドに荷物を置く。その一連の動きが、実はそのまま「文化財を守る」行為にもなっています。使う人がいるから、建物は生きていられる。生きているから、壊れた箇所を直す理由が生まれる。

「文化財に泊まる」という言い方は少し大げさかもしれません。でも、そう考えると、ここに一泊するという行為は、歴史のリレーに一歩だけ参加することでもあります。

2023年|全館休館、大規模リニューアル工事着手

建物のジャッキアップ耐震工事

130年を迎えるにあたり、万平ホテルは大きな決断をします。

2023年1月4日をもって全館休館。そこから約1年10か月をかけて、大規模なリニューアル工事に入りました。

工事の内容でわたしたちがいちばん驚いたのは、アルプス館の建物全体をジャッキで持ち上げて、基礎から補強し直した、という話です。

90年近く経っている木造建築を、地面から浮かせて、下に新しい基礎を入れる。文字で書くと一行ですが、やっていることは気が遠くなるような作業です。

「そこまでやるんだ」と、スタッフの方の話を聞きながら夫がぽつりと言いました。

本当に、そこまでやっていました。

耐震性能を現代基準まで引き上げるために、外から見える姿はほとんど変えずに、建物の「骨」だけを根本から補強する。これは、意匠を守りながら現代の建築基準を満たすための、いちばん誠実で、いちばん手間のかかるやり方です。

「変えないために、変えた」という決断

今回のリニューアルで使われているキーワードは、わたしたちの心のなかで自然と「変えないために変えた」という言葉にまとまっていきました。

外観は変えない。天井は変えない。ランプは変えない。看板は変えない。ステンドグラスは変えない。

そのために、基礎を変える。水回りを変える。冷暖房の仕組みを変える。客室の一部を新しくする。

「変えない部分」と「変える部分」の境界線の引き方が、本当に見事でした。見た目の印象にかかわる部分は徹底的に残し、安全や快適さにかかわる部分は潔く新しくする。

廊下を歩いていると、乳白色のペンダントライトの下に、ごく自然な形で最新の空調の吹き出し口が配置されていたりします。でも、その吹き出し口は、白い漆喰と同じトーンでまとめられていて、目立ちません。知らなければ気づかないくらいの自然さで、現代の快適さが埋め込まれている。

「変える」ことは、「変えない」ことよりも、ときにずっと難しい。今回の万平ホテルのリニューアルは、その難しさに正面から向き合った仕事だったのだと思います。

2024年10月2日|グランドオープン、130周年

創業130周年と同時に、新しい時代へ

2024年10月2日。万平ホテルはグランドオープンを迎えました。

この日は、創業からちょうど130年の節目。偶然ではなく、130年という数字に合わせて逆算された日付でした。

1894年に佐藤万平が宿を始めてから、130年。130年のあいだにこの宿が見送ってきた時代の数を思うと、改めて、ひとつの事業が130年続くということの途方もなさを感じます。

この日を境に、万平ホテルには新しい棟が加わり、新しい温泉が流れ、新しい客室が生まれました。

愛宕館新築と塩沢温泉の導入

2024年のリニューアルで、いちばん大きく「変わった」ポイントは、愛宕館が全面的に新築されたことと、万平ホテルの歴史上はじめて温泉が導入されたこと。

愛宕館は、従来もあった棟ですが、今回ほぼ全面的に建て替えられています。全30室のうち17室がプレミア(温泉付)、10室がテラス付きのプレミア、そのほかグランドプレミアや愛宕スイート、最上位の万平スイートが1室ずつ。

温泉は、南軽井沢の塩沢温泉から引かれています。泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉。いわゆる重曹泉で、肌がつるつるする感覚が気持ちいいお湯でした。わたしたちは今回アルプス館泊だったので、愛宕館の空き部屋を見学だけさせていただいたのですが、客室内風呂に塩沢温泉がそのまま引かれていて、24時間いつでも湯を溜められる仕組みになっています。

万平ホテルが「温泉のない宿」から「温泉のある宿」に変わった。これは、130年の歴史のなかでも相当大きな転換点です。

どの館を選ぶかによって体験がかなり変わるので、館の選び方については3つの館の選び方をまとめた別記事で詳しく書いています。あわせて読んでいただけると、このリニューアルの意味がよりはっきり見えてくるはずです。

リブランディングで維持されたもの

愛宕館が新築になり、温泉が導入され、客室のアメニティはモルトンブラウンになり、ドライヤーはリファになった。表面だけ見れば「今どきの高級ホテル」と同じ道具立てです。

でも、スタッフの方の声のトーン。チェックイン時の言葉の運び。部屋まで案内してくれる歩くスピード。ディナーのあいだの水の注ぎ方。朝食の説明の丁寧さ。

こういう「目に見えない部分」は、本当にきれいに維持されていました。

道具は新しくなっても、その道具を使う人たちの姿勢は、きっと何十年ものあいだ受け継がれてきたそのままのものなんだと思います。1902年に外国人宣教師を迎え入れたころの、白い前掛けの日本人スタッフの丁寧さが、2024年のフロントの穏やかさにまで、ちゃんと続いている気がしました。

130年を貫く「変わらないもの」

木製看板、ペンダントライト、軽井沢彫

チェックアウトの日、玄関の木製看板の前で、わたしたちはもう一度立ち止まりました。

チェックインのときは「これが130年前からある看板か」というただの情報だったものが、3日間の滞在を経て、もう少しちがう見え方をしていました。

この看板は、佐藤万平の時代、アルプス館竣工の時代、戦中戦後の時代、ジョン・レノンの夏の時代、文化財指定の時代、そして今回のリニューアルの時代。それぞれの節目のすべてを、この同じ場所で見てきた証人です。

チェックアウト直前に、夫が小声で「この看板、次はいつ会いに来られるかな」と言いました。わたしはその言葉のトーンに少しだけ驚きました。普段はあまりセンチメンタルな物言いをしない夫が、130年の木の前でそんなふうにつぶやくのだから、やっぱりこの宿には、人の何かを引き出す力があるのだと思います。

ほかにも、館内には「変わらないもの」がたくさん残っていました。

  • 昭和初期のすりガラスのペンダントライト
  • 折上げ格天井と、梁のあいだの和の文様
  • 鵜野澤秀雄さんのステンドグラス
  • 客室の軽井沢彫の家具(桜の花と葉の彫刻)
  • アルプス館の猫足バスタブ
  • フロント横のステンドグラス
  • カフェテラス奥の、あの席
  • ヤマハのアップライトピアノ
  • 玄関の木製看板

ひとつひとつは小さな要素です。でも、これだけの数の「変わらないもの」が、同じ建物の中に同時にあるホテルは、日本中を探してもそう多くはないと思います。

スタッフの距離感、言葉のトーン

物よりもたぶん、もっと大切な「変わらないもの」は、スタッフの方々の距離感でした。

わたしたちは2泊のあいだに、フロント、ベル、コンシェルジュ、ダイニング、カフェテラス、バー、ハウスキーピング、売店と、たぶん10人以上のスタッフの方と接しました。全員に共通していたのは、「低めの声のトーン」と「必要以上に踏み込まない距離」でした。

積極的に雑談をしてくる感じではありません。でも、質問をすると、その質問に対してきちんと時間をかけて答えてくれる。答えたあと、次の質問を待つように静かに微笑んで、少し下がっていく。

この距離感は、短い研修で身につくようなものではないはずです。おそらく、何十年にもわたって受け継がれてきた「万平ホテルらしい接し方」が、先輩から後輩へ、少しずつ手渡されてきた結果なんだと思います。

建物が変わらないのと同じくらい、人のふるまいが変わらない。それが、わたしたちが万平ホテルに感じた「本当の変わらなさ」でした。

帰ってきてから、夫が「あの宿のスタッフさんって、みんな声が低かったよね」と言いました。わたしは少し笑って、「そうだね、ちょっと囁くくらいだったよね」と返しました。静かな宿の空気を壊さないように、自然と皆さんの声のトーンが館にそろっていく。働いているうちに、館そのものに声質まで寄っていくのかもしれません。そうやって100年以上かけてチューニングされてきた場所なのだと思うと、泊まっているあいだに自分たちもつい小声になっていたのは、たぶん偶然ではなかったはずです。

予約カウンターに立つ前に

ここまで読んでくださった方の中には、「一度、ちゃんと泊まってみたい」と思いはじめた方もいるかもしれません。

わたしたちが実際に使ってみていちばん便利だったのは、次の4つのサイトを並べて開いて、部屋タイプと朝食・夕食の条件、ポイント還元を見比べる方法でした。プランの在庫や価格は時期で変動するので、気になった日程があれば、なるべく早めに確認しておくのが安心です。

特にアルプス館(全12室)は、歴史のいちばん厚い層にふれたい方に人気が集中しやすい棟です。愛宕館のプレミア(温泉・テラス付)も数が限られているので、狙う日程が決まっている方は早めに動くほうが安心だと感じました。

これから万平ホテルを訪れる人へ

歴史を背負った場所で過ごすという選択

万平ホテルは、いわゆる「映える」宿ではないかもしれません。

派手なインフィニティプールがあるわけでも、絶景のスイートがあるわけでもありません。客室は決して広いほうではなく、水回りの配置にも、歴史ある建物ゆえのクセがあります。

ただ、それでもこの宿を選ぶ価値がある理由があるとすれば、それは「130年分の時間の蓄積が、目の前で生きている」という一点だけだと思います。

明治の看板、昭和の天井、戦後の席、1970年代のピアノ、そして2024年の新しい温泉。すべてが同じ建物のなかに、無理なく重なっています。

この感覚は、写真や動画ではたぶん伝わりません。実際にそこで過ごして、空気を吸って、お茶を飲んで、ベッドで眠ってはじめて、じんわりと染みてくる類のものです。

ひと晩だけでも歴史の一部になれる

そして、これはわたしの個人的な感想なのですが。

ここにひと晩泊まると、自分たちも「万平ホテルの130年」の中のほんの小さな点として、リストに並ぶ気がします。

1894年に始まって、2026年に泊まった夫婦がいた。たったそれだけのことなのですが、帰りの新幹線のなかで、そういう感覚に少しくすぐったくなりました。

歴史の「読み手」ではなく、歴史の「参加者」になれる宿。そんなホテルは、日本にはそれほど多くありません。

わたしたちの気になったところ

ここまで良いところばかり書いてきたのですが、歴史ある宿ならではの「気になるところ」も、正直にお伝えしておきます。詳細は総合宿泊記に書いていますが、歴史編の文脈として大事な3点に絞ります。

1. 歴史への期待値と、実際の体験のギャップ

「ジョン・レノンの席」「国の登録有形文化財」「130年」といった単語から、ものすごく華やかで記念碑的な体験を想像してしまうと、実物はずっとひかえめに感じるかもしれません。

館内には派手な銅像もなければ、入口に大きな歴史解説パネルが並んでいるわけでもありません。すべてが「日常の延長」として淡々と置かれているので、能動的に歴史を探しに行く気持ちがないと、うっかり通り過ぎてしまう要素も多いです。

歴史編の記事を先に読んでから行くと、この「ひかえめさ」のありがたさのほうに意識が向くようになります。

2. 建物の古さゆえの音と水回り

アルプス館に泊まると、扉の開閉音やかすかな足音が、現代のホテルより聞こえやすいです。これはクラシックホテルの宿命のようなもので、逆に言えば「ちゃんと木でできている」証拠でもあります。

水回りについても、部屋タイプによってはトイレ・洗面・バスタブが同じ空間にまとまっていることがあります。完全分離を重視する方は、予約時に部屋タイプをしっかり確認しておくか、愛宕館のプレミア以上を選ぶほうが安心です。

3. 「歴史編」として訪れるなら、時間を少し多めに

130年の厚みを感じ取るには、実はそれなりの時間がいります。

チェックインして、部屋に荷物を置いて、夕食を食べて、寝て、朝食を食べて、チェックアウト——という標準的な1泊の流れだけだと、館内の細部を見る時間がちょっと足りません。

できれば2泊、それが難しければ、早めのチェックインと遅めのチェックアウトを取って、館内をゆっくり歩き回る時間を確保してほしいです。カフェテラスでお茶を飲み、ロビーでピアノを見て、廊下のランプを眺め、メインダイニングの天井を見上げる。この「歩いて、立ち止まる」時間こそが、歴史編の宿泊では本当に大事だと感じました。

Saion独自スコア|歴史編としての万平ホテル

わたしたちが今回、「歴史」という視点で万平ホテルを体験して感じたことを、4つの項目でスコア化してみました。あくまで個人的な感覚ですが、同じような視点で宿を選ぶ方の参考になればと思います。

歴史的情緒スコア ★★★★★(5.0)
建築・意匠スコア ★★★★★(5.0)
物語性・エピソード密度 ★★★★★(5.0)
夫婦の会話密度 ★★★★★(5.0)
写真映え度 ★★★☆☆(3.0)
再訪意欲 ★★★★★(5.0)

写真映えは、正直「劇的なインスタ映え」という方向ではありません。でも、そのかわり「撮れば撮るほど好きになる」タイプの宿でした。スマホで撮った写真をあとから見返すと、その時の空気まで戻ってきます。派手さではなく、染みる方向。

夫婦の会話密度がいちばん驚きでした。ふだんはスマホを触っている時間のほうが長いふたりが、この宿ではずっと何かを話していました。「この天井」「この看板」「この席」——話題が途切れないのが、この宿の特別さです。

基本情報(歴史軸)

ホテル名 万平ホテル(まんぺいホテル)
所在地 〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢925
創業 1894年(明治27年)
創業者 佐藤万平
アルプス館竣工 1936年(昭和11年)
文化財指定 アルプス館 国の登録有形文化財(公式サイトで指定年を要確認)
ジョン・レノン滞在 1976〜1979年、毎夏4年連続(アルプス館)
全館休館 2023年1月4日
グランドオープン 2024年10月2日(創業130周年)
客室数 全86室(アルプス館12室/愛宕館30室/碓氷館44室)
温泉 塩沢温泉(愛宕館客室内風呂のみ)
アクセス JR軽井沢駅よりタクシー約5分、無料送迎バスあり(予約制)

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まとめ:「時間を残す勇気」がある宿へ、手紙のように

最後に、少しだけ手紙のような言葉で終わらせてください。

もしあなたが、派手なホテルで派手な写真を撮ってくることよりも、「誰かがずっと大切にしてきた場所を、自分もそっと踏ませてもらう」体験のほうに心が動くタイプの人なら、万平ホテルはたぶん、とても相性のいい宿です。

1894年の木製看板の前で立ち止まる時間。昭和初期のすりガラスの下をそっと歩く時間。折上げ格天井を朝の光で見上げる時間。ジョン・レノンが座ったと伝わる席の斜め向かいで、ロイヤルミルクティーをひと口飲む時間。壁の切り抜きの前で、子猫の話を思い出す時間。

どれも、数分で終わる小さな時間です。でも、帰ってきてからずいぶん経ってもふと思い出すのは、いつもこういう「ほんの数分」のほうでした。

わたしたちは今回、2泊しかしていません。それでも、帰りの新幹線のなかで、もうすでに「次はいつ行こうか」の話をしていました。夫は、次は愛宕館のプレミアに泊まって塩沢温泉を試したいと言いました。わたしは、もう一度アルプス館に泊まって、今度は朝のいちばん早い時間に折上げ格天井の下でコーヒーを飲みたいと言いました。

130年のあいだに、こうやって「また来ます」と約束して、また戻ってきた夫婦が、いったいどれくらいいたんだろう。

たぶん、わたしたちはその長いリストの、本当に小さなひとつの点です。でも、その点のひとつになれたことを、ちょっとだけ誇らしく思っています。

時間を残すのは、勇気のいることです。

その勇気を130年のあいだ持ち続けてきた宿が、軽井沢にあります。あなたがもし、その勇気の続きに参加してみたいと思ったら、下のいずれかのリンクからそっと扉を叩いてみてください。

玄関の、あの130年の看板の前で、いつかあなたも少しだけ立ち止まる時間がありますように。

そしてそのときは、どうかその看板を、わたしたちと同じように、「触りたいけれど、触れない」気持ちでそっと見上げてあげてください。

——Saion(彩音)より

画像引用元

アイキャッチ画像は著作権法第32条「引用」の規定に基づき、万平ホテル公式サイトより出典を明記の上で使用しています。

万平ホテル アルプス館(1936年竣工、登録有形文化財)

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