GW、家で過ごす夜。わたしたちは次の旅の種を、本の中に探しに行きます。
今年の大型連休は、ちょっとゆっくり過ごすことに決めました。前半は近場の温泉に一泊、後半は家でぼんやり。予定を詰めない代わりに、本棚から旅の本を引っ張り出してきて、ふたりで黙々と読む時間を作ることにしたのです。
これは、わたしたちがこの数年のあいだに繰り返し読み返してきた「旅が読みたくなる本」7冊の記録です。ホテル旅の感想を書くブログをやっているくせに、実はわたしたち、旅そのものと同じくらい「旅の本」を読むのが好きで。ページをめくるたび、まだ行ったことのない町の匂いや、忘れかけていた旅の感覚が、じわっと戻ってくる感じがたまらないのです。
今回ご紹介する7冊は、ぜんぶ文庫で手に入ります。GW中に本屋さんに駆け込んでも、電子書籍で夜のうちにポチっても、間に合う選書にしました。
ちなみにわたしたちはハードカバーも好きなのですが、旅の本に関してはやっぱり文庫がいちばんしっくりきます。カフェでも、ベッドの上でも、飛行機の中でも、気負わずに手に取れる軽さ。旅の本というのは、そもそも肩に力を入れて読むものじゃないと思うのです。どこか別の場所に連れて行ってもらいたくて本を開くのに、読むために構えなきゃいけないのでは本末転倒。だから、7冊はぜんぶ手のひらサイズで揃えました。
こんなふたりにおすすめ:
- GWはあえて家でゆっくりしたい夫婦
- 次の旅の行き先を、本の中から見つけたい
- 読み終わったあと、パートナーと「旅の話」で夜更かししたい
7冊を選ぶときに決めた、ひとつのルール
最初、夫と「GWに読む旅の本を選ぼう」と話したとき、ふたりでリビングの本棚の前に立って、気づけば1時間半が経っていました。旅にまつわる本は、わたしたちの本棚のうち、下2段を丸ごと占領しています。旅の本はどうしても捨てられない。「またいつか読み返すかもしれない」と思うと、ブックオフの袋には入れられないのです。
7冊に絞るのは正直しんどかったのですが、最終的にひとつだけ、ルールを決めました。
「読み終わったあと、夫婦の会話が増える本」
これです。自分ひとりで完結する本ではなくて、ページを閉じたあとに「ねえ、ラオスの托鉢ってさ」とか「こんな夫婦の旅もいいよね」とか、そういう話題が自然と生まれてくる本。旅は結局、誰かと共有したくなる体験だから、本もその延長にあってほしい。
そんな軸で選んだ7冊を、読むのにちょうどいい「タイミング別」に並べてご紹介します。朝の1冊、夜じっくり浸る1冊、雨の日の1冊、週末の物語、夫婦で回し読みする1冊。GWの5日間、全部揃えれば毎日違う本で違う旅ができます。
【夜じっくり浸る1冊】沢木耕太郎『深夜特急1 香港・マカオ』
旅の本の話をするなら、どうしてもこの1冊から始めたくなってしまう。
沢木耕太郎さんの『深夜特急』は、旅好きなら一度は名前を聞いたことがあるはずの、いわば旅エッセイの古典です。26歳の若者が「インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合バスで行く」と突然思い立って、日本を飛び出す。その第1巻が、香港とマカオの話です。
夫がこの本を初めて読んだのは大学生の頃らしく、「大学1年の夏休み、1日で1巻読み切った」と何度も話してくれました。彼がバックパッカーみたいな旅に憧れるようになったのは、この本のせいらしい。実際、学生時代にタイとカンボジアを1ヶ月かけて回ったそうで、出会った頃にその話を聞かされて、「そんな旅もあるんだ」と驚いた記憶があります。
わたしが最初にこの1巻を読んだのは、結婚してしばらく経った頃。夫が「とりあえずこれだけは読んでほしい」と本棚から引っ張り出してきたのです。読み始めて最初に感じたのは、とにかく香港の空気が濃い、ということ。
ひしめき合う屋台の匂い、路地裏の湿気、人混みの中で聞こえる広東語の早口、マカオの博打場に流れる時間。文字を読んでいるだけなのに、熱帯夜の扇風機の風みたいに、ぬるい空気が顔に当たる気がするのです。
読んでいる途中で夫に「香港っていま行ったら、この本みたいな感じなのかな」と聞いたら、「たぶん全然違うよ、でも路地裏は残ってるらしい」と返ってきました。それがきっかけで、ふたりで「いつか香港に行って、重慶大厦を見てみたいね」という話になって。まだ実現できてはいないのですが、行き先リストの中に、この本のせいで刻まれた場所がいくつもあります。
1986年に刊行された本なので、旅の情報としてはもう古いし、今の香港はこの頃とは街の顔が変わっているはずです。でも、この本の価値は情報ではなくて「旅に出る前の熱」そのものだと、読むたびに思います。夜、部屋を少し暗くして、コーヒーを淹れて、一気にどこかへ連れて行かれる感じ。
増補新版には、後日談のあとがきがついていて、これがまた良くて。「あのときの若者」のその後がわかるので、もし古い版を持っていても、わたしは新版を買い直す価値があったなと思っています。
全6巻の長編なので、GW中に全部読み切るのは正直ちょっと難しい。でも、1巻だけでもひとつの旅として完結しているので、まずはこの香港・マカオ編から手に取ってもらえたら、と思います。わたしたちは毎年GWか夏休みになると、なんとなく本棚から取り出して1巻だけ読み返す、という謎の習慣ができました。
夫に言わせると、「この1巻の熱が、全シリーズでいちばん濃い」らしい。彼は2巻以降も全部読んでいますが、毎回わたしにおすすめするときは必ず1巻から手渡してきます。旅の始まりの空気、バスに揺られる前の足取りの重さ、でもどこか浮き足立っている若さ。それがこの第1巻にぜんぶ詰まっている、と彼は言います。わたしもその意見に賛成です。2巻以降ももちろん面白いのですが、この「出発の本」という独特の空気は、やっぱり1巻にしかない。
【朝の1冊】松浦弥太郎『場所はいつも旅先だった』
朝に読む本というのは、夜の本とはまったく違う役割を持っています。目覚めたばかりの頭に、そっと空気を入れてくれるような、そういう本が朝にはいい。わたしにとってそれは、松浦弥太郎さんの『場所はいつも旅先だった』です。
松浦弥太郎さんは、東京・中目黒のCOW BOOKSという古書店の店主で、「暮らしの手帖」の元編集長。丁寧な暮らしという言葉を広めた張本人のような方です。この本は彼が、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロンドン、そして神保町を旅した記録をまとめた自伝的エッセイ集。
文章の温度が本当にちょうどいい。熱すぎず、冷めすぎず、朝いちばんに飲む白湯みたいな文章なのです。
わたしがこの本を初めて読んだのは、結婚してすぐの頃、ホテルの朝食で夫がなかなか起きてこなかった日の待ち時間でした。カフェラテを頼んで、ぼんやり窓の外を眺めていたら、カバンに入れっぱなしだったこの本の存在を思い出して、取り出してみたのです。
最初のページを開いた瞬間、ホテルの朝の光が急に愛おしく見えてきたのを、今でもよく覚えています。松浦さんが書く「旅先の朝」は、派手なイベントでもなく、名所でもなく、ただのカフェと、ただのパン屋と、ただの散歩道なのですが、それが信じられないくらい美しく見える。
夫が朝食会場に降りてきたとき、わたしは「この本すごくいいよ」と言ったのですが、彼は「朝の本って感じする」と、それだけ言ってパンケーキを食べに行きました。彼はどちらかというと夜型なので、朝の本にはあまりピンと来ないらしい。でも、本屋巡りの話になったときだけは興味を示してくれて、「神保町の章だけ読んでみる」と、その後しばらく読んでいました。
この本のいいところは、ひとつのエッセイが短くて、どこから読んでも、どこで止めても成立すること。朝の15分、コーヒー1杯ぶんで1編読み終わる。読み終わったあと、「今日はどこに行こうか」という気持ちが自然と湧いてくる本です。
ちなみに、この本の初出は2009年にP-Vine Booksという出版社から出たもので、今わたしたちが読んでいる集英社文庫版は2011年に出たものです。ひとつの本が、出版社を変えて長く読み継がれているというのも、この本らしいなと思います。松浦さんの文章は時間が経っても色褪せない。それこそ、旅先でふと手に取るのにちょうどいい理由かもしれません。
わたしは旅行に行くとき、必ずこの本をバッグに入れていきます。機内で1編、ホテルの朝に1編、カフェで1編。何度も読み返しているので、もう内容は覚えているのですが、それでも毎回新しい発見があるから不思議です。
この本を読むときの儀式のようなものがあって、わたしは必ず温かい飲みものを用意します。ブラックコーヒーでも、ミルクを多めに入れたカフェオレでも、休日ならほうじ茶でもいい。とにかく湯気の立つカップを片手に、ページをゆっくりめくる。松浦さんの文章は、焦って読むとその良さが半分くらい消えてしまう気がするのです。読むスピードが、そのまま本の味になる。そういう本って、めずらしいですよね。
【雨の日の1冊】角田光代『いつも旅のなか』
GWに雨の日が1日くらい入る、というのは、旅好きにとってちょっとした試練です。予定していた日帰りドライブが中止になったり、お気に入りのテラス席が使えなかったり。そういう日のために、わたしたちは雨にぴったりの本を用意しています。
角田光代さんの『いつも旅のなか』は、まさに雨の日に読みたい本の代表格。角田さんはご存じの通り、直木賞作家で、『対岸の彼女』や『八日目の蝉』の作者です。そんな大作家が書く旅のエッセイは、正直、覚悟していたよりもずっとずっと、脱力系でした。
ロシアで言葉がまったく通じなくてご飯にありつけない話、キューバでぼったくられかける話、ネパールの山道で息が切れる話、モロッコの迷路で迷子になる話。
どれもこれも、成功した旅ではなくて「ちょっと失敗した旅」ばかり。でも、それが最高に面白いのです。
わたしがこの本を読んだのは、ある土曜日、予定していた房総半島ドライブが土砂降りでぽしゃった日でした。夫は「しょうがないね」と言いながら早々にソファで昼寝を始めてしまって、わたしは仕方なくこの本を開いたのです。
最初の数ページで、もう声を出して笑っていました。角田さんがロシアで出会うおばちゃんたちのエピソードが可笑しすぎて、昼寝していた夫が「何読んでるの」と起き出してきたほどです。ひとつだけ話の内容を説明したら、夫も「え、ちょっとそれ貸して」と言って、そのあと2時間くらい黙って読み続けていました。
角田さんのすごいところは、旅の失敗を「失敗」として描かないこと。途方に暮れたときの、あの独特の、空っぽな感覚を、まるで宝物のように書くのです。読んでいると、わたしたちのこれまでの旅で失敗したこと——台北で雨に降られてびしょ濡れになったこと、京都で道を間違えて予約時間に遅刻したこと、ハワイでレンタカーのガソリン補給を忘れかけたこと——ぜんぶ笑い話に変わってくる気がしました。
「旅はうまくいかない方が記憶に残る」というのは、旅行ブロガーとしてはちょっと口に出しにくい真実なのですが、この本を読むとその真実に正面から向き合わされます。完璧な旅なんて、たぶん存在しないし、存在したとしても、それは面白くない。
雨の日、ソファにくるまって、窓ガラスに雨音を聞きながら読むと、旅に出なくても旅をしている気分になれる。カフェで読むのもいいし、わたしたちは休日のブランチのあと、ダラダラ読書タイムにこの本をよく開きます。
ちなみに夫は、モロッコの迷路の話を読んだあと、「モロッコって面白そうだね」と言い出して、しばらくしてから検索履歴にモロッコ便の情報が残っていました。角田さんの筆の力、おそろしい。
わたしがこの本でいちばん好きなのは、キューバの章です。騙されそうになったり、道に迷ったり、でも現地の人たちに助けられたり。「旅って、こういう瞬間のためにあるんだよな」と、読むたびに思います。観光名所の感想じゃなくて、予想外のハプニングの中でふと出会う人の優しさ。角田さんはそういう瞬間を、ドラマチックに書かずに、ふつうの出来事として書きます。その淡々としたトーンが、かえって心に残るのです。
【夜じっくり浸る1冊その2】村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?』
村上春樹さんの紀行文集は、旅の本のなかでも独特の立ち位置にあります。
この『ラオスにいったい何があるというんですか?』は、ボストン、アイスランド、ラオス、トスカーナ、ギリシャの島、ニューヨーク、フィンランド、熊本など、世界中の場所をめぐる全12篇の紀行文集です。文庫化されたのは2018年、もともとの単行本は2015年に出ています。
わたしたち夫婦が村上春樹さんの熱狂的な読者か、と言われると、実はそこまでではなくて。でも、この本だけは別格で、何度もふたりで読み返しています。
この本を初めて読んだのは、ある冬の夜でした。夫が先に読んでいて、「この本の冒頭のフレーズ、すごくいいよ」と、何度も言ってきたのです。「旅をしている人にだけ、見えてくる風景がある」——そんなフレーズ(正確な言い回しは本で確認してほしいのですが)を読んだ夫が、めずらしく興奮していて、わたしにページを差し出してきました。
読んでみて、なるほどと思いました。村上春樹さんの旅の書き方は、観光ガイドみたいに「何がすごいか」を語るのではなくて、その場所に立ったときの「自分の内側」を丁寧に書く人なのです。ラオスの早朝、まだ薄暗い時間に僧侶たちが托鉢する様子を描く章があるのですが、その描写を読んだ夫が、本気で「ラオスに行って托鉢を見たい」と言い出したのです。
「え、行くの?」と聞いたら、「いつかね」と笑っていました。でもその「いつか」は、村上春樹さんの文章がきっかけで生まれた「いつか」です。本が人を旅に動かす瞬間って、こういうことなんだろうなと、横で見ていて思いました。
個人的にいちばん好きなのは、アイスランドの章です。北の国の空気感、オーロラを待つ夜、妙に美しい言葉の響き。読んでいると、手足の先がひんやりしてくる気がする。わたしは寒い国が苦手なのですが、この章を読むと「アイスランドだけは例外で行ってみたい」と毎回思います。
この本は、1編1編が少し長めで、読み応えがあります。朝にちょこちょこ読むタイプの本ではなくて、夜、腰を据えて、1つの場所にじっくり浸るのがいい。わたしたちは1日1章ずつ、夕食後の時間に読むのが、いちばん合っていました。
「旅をしている人にだけ、見えてくる風景がある」という感覚は、わたしたちが旅ブログを書いている理由そのものと重なります。同じ場所に行っても、見る人の目によって、景色はまったく違うものになる。だからこそ、ひとつひとつの旅を丁寧に書き残しておきたい——この本を読むたびに、そんな気持ちになります。
まだラオスには行けていません。でもいつか、きっと行きます。早朝の托鉢を、夫と並んで見る日のために、この本は何度でも読み返したい。
もうひとつ、個人的に印象に残っているのはトスカーナの章です。ワインと食事と、ゆったりしたイタリアの時間。読みながら、夫に「いつかトスカーナでワイン飲みたいね」と話したら、彼は「老後の楽しみにしよう」と笑っていました。本を読んだあとに生まれる「いつか」が、ひとつ、またひとつと増えていく。これが、旅の本を読むいちばんの醍醐味なのかもしれません。
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【夫婦で回し読みする1冊】川内有緒『パリでメシを食う。』
「旅の本」と言いつつ、この本だけは少し毛色が違います。川内有緒さんの『パリでメシを食う。』は、旅行記というよりはインタビュー集。パリに暮らす日本人10人を訪ね歩く、ドキュメンタリー紀行です。
登場するのは、三つ星レストランで働く料理人、パリで漫画喫茶を始めた若い夫婦、パリコレに関わるスタイリスト、現地に根を下ろした写真家——。みんな、「パリで生きている日本人」たちです。観光客ではなくて、そこで暮らし、働き、生活している人々の物語。
この本を、わたしたちは1冊を夫婦で交代しながら読みました。片方が数章読んだら、もう片方に渡す、という回し読みスタイル。川内さんのインタビューがあまりに面白くて、ひとりで抱え込んでいるのがもったいなかったのです。
いちばん印象に残っているのは、漫画喫茶を開いた若い夫婦の章。夫と奥さんが、まだ20代でパリに渡って、日本人向けの漫画喫茶を始める話です。最初は試行錯誤だらけで、お店もうまくいかなくて、でも少しずつ常連客がついて。読んでいるうちに、なぜか自分たちの話のように感じてきて、読み終わったあと、夫とふたりで「もし海外で暮らすとしたら、どこがいい?」という話を延々としていました。
夫はスペインかポルトガル、わたしはイタリアの小さな町、と、それぞれの意見を言い合って、最終的に「パリも悪くないね」で落ち着く、という夜。実際に移住するわけでもないのに、妄想だけで2時間も話し込めるのは、旅好き夫婦ならわかってもらえるんじゃないかと思います。
もうひとつ好きなのは、三つ星レストランで働く料理人の章です。日本から単身パリに渡って、厳しい厨房で修行する。言葉の壁、文化の壁、味覚の壁。それをひとつひとつ乗り越えていく姿が、本当にかっこいい。読んだあと、夫が急に「今日はパスタを手作りする」と言い出して、冷蔵庫にあった材料でパスタを茹で始めたのは、たぶんこの章のせいです。
川内有緒さんの文章は、派手な装飾がまったくないのに、読んでいるうちに自然とその人物に引き込まれていきます。取材対象との距離の取り方が絶妙で、深入りしすぎず、でも冷たくもない。この距離感が、読者にとってちょうどいい。
旅の本、というよりは「パリを通して見る人生の本」かもしれません。でも、読み終わったあと、パリ行きの航空券を検索したくなるのは間違いない。わたしも読み終わったあと、ついエールフランスのサイトを開いてしまいました。
この本のいちばんの魅力は、登場人物たちが、みんな「完璧な成功者」ではないところだと思います。パリで三つ星の料理人といっても、その裏には挫折や葛藤がある。漫画喫茶の夫婦も、いきなり軌道に乗ったわけじゃない。キラキラした海外暮らしの本ではなく、「みんなそれぞれの地面を、ちゃんと自分の足で踏んでいる」本なのです。だからこそ、読んでいて勇気が出る。わたしたちもわたしたちの場所で、一歩ずつ進んでいけばいいんだな、と思える。
【週末まとめ読みの1冊】原田マハ『旅屋おかえり』
ここまで紹介してきた6冊はすべてエッセイや紀行文なのですが、最後に1冊だけ、小説を入れました。原田マハさんの『旅屋おかえり』です。
原田マハさんと言えば、美術系の小説で知られる作家さんですが、この本は少し趣が違います。主人公は「おかえり」という名前のアラサータレント。売れっ子とは言えないけど、消えてもいない、そんな微妙なポジションの女性です。彼女がひょんなことから「旅代行業」を始めることになる、というのが物語の始まり。
「旅代行業」。聞きなれない言葉ですよね。行きたいけど行けない人の代わりに、旅に出て、見てきた景色や体験を報告する、という仕事です。最初にこのアイデアを聞いたとき、わたしは思わず夫に「これ、いい話じゃない?」と話しかけました。夫も「誰かの代わりに旅をするって、変な発想だけど、なんかいいよね」と、妙に感動していました。
主人公のおかえりは、依頼人が「行きたかったけど行けなかった場所」を訪れます。ある依頼は、病気で旅ができなくなったおばあちゃんのために、昔訪れた思い出の場所を見てきてほしい、というもの。別の依頼は、亡くなった人のために、その人が生前行きたがっていた場所を訪れてほしい、というもの。
読んでいて、何度か涙が出ました。わたし、小説でそう簡単に泣くタイプではないのですが、この本だけはダメで。横にいた夫が「どうしたの?」と聞いてきたのを、「いや、べつに…」とごまかしました。たぶん、わたしたちが日頃から旅のブログを書いているから、「誰かの代わりに旅をする」というテーマが、自分ごととして響いたのだと思います。
この本は文庫で352ページ。週末にまとめて読むのにちょうどいい長さです。わたしたちは土曜日の午後、喫茶店に行って、それぞれ別の本を読むつもりだったのですが、わたしがこの本を読み始めたら夫も気になって、結局「読み終わったら交換しよう」という話になりました。彼は早く読みたがっていましたが、わたしのほうが先に貸してもらえたので優先権発動です。
エキナカ書店大賞を受賞している作品で、2021年にはNHKでドラマ化もされています(主演は安田成美さん)。ドラマも見ましたが、本のほうがやっぱり味わい深い。文字のほうが、旅の情景がありありと浮かんでくる気がします。
旅をする意味って、なんだろう。誰のために旅をしているんだろう。読み終わったあと、そんな問いがしばらく頭の中に残りました。答えは今も出ていません。でもその問いを持ち続けることが、旅を続ける理由のひとつなのかもしれない、とわたしは思っています。
この本を読んでから、わたしたちはブログの書き方が少し変わりました。ただ「わたしたちが行って楽しかった」と書くだけじゃなくて、「読んでくれる誰かが、その場所を心の中で旅してくれたらいいな」と思うようになったのです。読者の中には、体調が悪くて外に出られない人も、仕事が忙しくて旅行どころじゃない人もいるかもしれない。そういう人にとって、わたしたちの記事がちょっとした「旅代行」になれたら——大げさかもしれないけど、そんな気持ちで書いています。この変化はぜんぶ、『旅屋おかえり』のおかげです。
【朝の1冊その2】益田ミリ『ちょっとそこまで旅してみよう』
7冊目、最後に紹介するのは、益田ミリさんの『ちょっとそこまで旅してみよう』です。
益田ミリさんは、4コマ漫画や絵付きのエッセイで知られるイラストレーター兼エッセイスト。この本も、文字だけではなく、ところどころにミリさんのイラストが入っていて、肩肘張らずに読める旅エッセイです。
訪れる場所は、八丈島、宝塚、奈良、萩、金沢、京都、そしてフィンランド。国内旅行が中心で、ひとりで、あるいは友達と、ふらっと出かけていくスタイルです。派手な観光地ではなく、ちょっと地味めの場所も多い。でも、そこがいい。
冒頭にこんなフレーズがあります。「昨日まで知らなかった世界を、今日のわたしは知っている」。初めて読んだとき、なんでもない文章なのに、わたしは妙に胸を打たれました。旅って、結局そういうことだよなあと。
ミリさんの旅の視点は、わたしたち夫婦の週末旅ととても近い気がします。日帰りで行ける場所、一泊で済む場所、派手じゃないけど美味しいごはんがある場所。「ちょっとそこまで」という言葉のとおり、気負いがゼロなのです。
わたしがこの本を手に取ったのは、ある日曜日の朝、前日に遊び疲れてなかなか起きられなかった日でした。ベッドの中で読み始めて、気づいたら30分経っていて、夫が「お昼ご飯、どうする?」と起こしに来たのです。「あとちょっとだけ」と言って、もう1編だけ読んだのを覚えています。
この本は192ページと、今回紹介した7冊のなかではいちばん短い。2〜3時間あれば読み切れる気軽さなのですが、読後感はしっかり残ります。読み終わったあと、夫に「次の週末、近場でどこか行かない?」と聞いたら、彼は「奈良でも行ってみる?」と答えてくれました。ミリさんが書いていた奈良の章が、彼の記憶にも残っていたらしい。
派手な旅ではなくて、日常のすぐ隣にある旅。GWの最終日、少し疲れて、でも旅の気分は味わいたい、そんな朝にこの本はぴったりだと思います。
ちなみにミリさんの本は、旅エッセイ以外にも日常系のエッセイがたくさんあって、ハマると全部読みたくなる危険性があります。わたしはこの本から入って、今では彼女の本が本棚に10冊くらい並んでいます。沼にご注意を。
この本の中で特に好きなのは、八丈島の章です。ひょこっと遠くまで行って、温泉に入って、魚を食べて帰ってくる。派手さはまったくないのに、読後感がとてもいい。「旅はこんなふうでいいんだ」と、心の力がすっと抜ける感じがあるのです。夫にも勧めたら、「こういう軽い本、ちょうどいいね」と気に入っていました。ふだん重めのノンフィクションばかり読む夫が、ミリさんのふんわりした文章に和んでいる姿は、ちょっと新鮮でした。
良かったところ:7冊に共通する「旅の解像度」
今回の7冊を選び終わって、自分たちで読み返してみて気づいたことがあります。それは、どの本も「旅の解像度」がとても高いということ。
沢木耕太郎さんの香港の熱気、松浦弥太郎さんのホテルの朝の静けさ、角田光代さんの失敗の脱力感、村上春樹さんのアイスランドのひんやりした空気、川内有緒さんのパリの生活の匂い、原田マハさんの旅代行の切なさ、益田ミリさんの日常旅の気軽さ——。
場所も作者もバラバラなのに、どの本も「その場所に自分が立っている」感じがする。これはたぶん、作者たちが旅の途中で感じた小さなディテールを、大切にすくい取っているからだと思うのです。
もうひとつ良かったのは、7冊すべて文庫で手に入ること。旅の本はとくに、文庫のあの小さなサイズが似合います。カバンにぽいっと入れて、電車で、カフェで、ホテルの部屋で。ページの角を折って、また続きを読む。その気軽さが、旅の本には必要です。
価格的にも、7冊ぜんぶ揃えても5,000円ちょっと。GW中に全部読み切ったら、ひとつの旅行分くらいの情報と感情が、自分の中に残る計算です。
気になったところ:正直に書いておきたいこと
もちろん、今回の選書にも「気になったところ」はあります。正直に書いておきたいと思います。
ひとつめは、『深夜特急』は1巻だけで完結しないということ。全6巻の長編なので、1巻を読んで「続きが気になる」となったら、GW中に読み切れない可能性があります。わたしたち夫婦も、最初に読んだときはそうでした。1巻を読み終えた夜、夫が「2巻は?」と聞いてきて、翌日あわてて書店に走った記憶があります。沼にハマる覚悟だけ、先にしておいてください。
ふたつめは、全体的にエッセイ寄りだということ。7冊のうち6冊がエッセイや紀行文で、小説は『旅屋おかえり』の1冊だけ。物語としてぐいぐい読みたい気分の日には、エッセイはちょっと合わないかもしれません。そういう日は、原田マハさんの1冊にまず手を伸ばすのがいいと思います。
みっつめは、「サクサク読みたい日」には向かない本も混じっていること。とくに村上春樹さんの『ラオスに〜』は、1編が長めで、じっくり腰を据えて読む本です。疲れた夜、10分だけ読みたい、というときには、ちょっと重すぎるかも。そんな日は、松浦弥太郎さんや益田ミリさんの本に切り替えるのがおすすめです。
正直な話、今回7冊を選んだあとに、「もう1冊、純粋なアジア旅の本を入れればよかったかな」とも思いました。香港は入っているものの、台湾やベトナム、タイの本が入っていない。もし次に「旅の本特集」をやるとしたら、そのあたりを重点的に紹介したいです。
7冊の基本情報
参考までに、今回紹介した7冊の情報をまとめておきます。
| タイトル | 著者 | 出版社 | ページ数 |
|---|---|---|---|
| 深夜特急1 香港・マカオ(新潮文庫・増補新版) | 沢木耕太郎 | 新潮社 | 約272p |
| 場所はいつも旅先だった | 松浦弥太郎 | 集英社文庫 | 256p |
| いつも旅のなか | 角田光代 | 角川文庫 | 288p |
| ラオスにいったい何があるというんですか? | 村上春樹 | 文春文庫 | 288p |
| パリでメシを食う。 | 川内有緒 | 幻冬舎文庫 | 336p |
| 旅屋おかえり | 原田マハ | 集英社文庫 | 352p |
| ちょっとそこまで旅してみよう | 益田ミリ | 幻冬舎文庫 | 192p |
全部揃えても、合計で約1,984ページ。GWの5日間、1日400ページを目安に読み進めると、ちょうど読み切れる計算になります。もちろん、わたしたちはそんなに計画的に読むタイプではなくて、気分に任せて行ったり来たり。それでも、GW明けには「あれ、読み終わってる」というのが、毎年のパターンです。
まとめ:本がページをめくるたびに
GWが始まる直前の夜。わたしたちはいつも、次の連休にどの本を読もうかとリビングでぼんやり話します。予定を詰めた連休も、予定を詰めない連休も、その時間だけは毎年ゆるやかに流れていて、旅好き夫婦の小さな楽しみになっています。
次の旅が決まっていなくても、本がページをめくるたびに、わたしたちを少し遠くへ連れて行ってくれる。香港の湿った路地に、松浦弥太郎さんが見たニューヨークの朝に、角田光代さんが迷い込んだモロッコの迷路に、村上春樹さんが見たラオスの早朝の光に。一冊ずつ、違う風景が目の前に広がって、読み終わったあと、まぶたを閉じると、まだその景色が残っている気がする。
旅に出られない日でも、本がある。旅に出られる日だったら、もっといい。どちらにせよ、本を持っていることの幸せが、これらの7冊には詰まっています。
「また読むか?」と聞かれたら、迷わず「もちろん」と答えます。実際、この7冊はどれもわたしたちの本棚の常連で、何度も何度も読み返してきました。読むたびに、自分が変わっているぶん、本の見え方も変わる。それもまた、旅に似ています。
今年のGW、もし予定が空いている夜があったら、ぜひ1冊だけでも手に取ってみてください。そしてもし、読み終わったあとに「次はここに行きたいね」という会話が夫婦で生まれたら——それが、この記事を書いた、いちばんの理由です。
よい連休を。そして、よい読書を。

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